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人足寄場の成り立ち
江戸時代の寛政2年(1790)、老中松平定信は火附盗賊改(ひつけとうぞくあらため)の長谷川平蔵に命じて、隅田川河口の石川島(現在の佃島付近)に人足寄場を造りました。
そのころ江戸では、天明の大飢饉をきっかけに、無宿者が流入して治安が悪化していました。
その対策として、犯罪の予備軍である浮浪者や刑を終えた者を収容するために創設されたのが人足寄場でした。人足寄場では、収容された者たちを社会に戻すために教育や職業訓練を施しました。
このように社会復帰を目指した処遇は、今日の犯罪者処遇に通ずるものと言えるでしょう。
監獄の作業さまざま
明治十年代になって人足寄場は「石川島監獄署」となり、そのころの監獄署での作業を業種ごとに描いているのがこの絵図です。
巻物3巻に二十数種の作業が描写されており、「紙漉」(かみすき)や「米舂」(こめつき)「木挽」(こびき)など、江戸期の人足寄場以来の作業が続いていたものもあり、また「活板(印刷)」や「靴工作」など新時代の作業もありました。
囚徒たちは、このような「手業」(てわざ)を身につけて、社会へと送り出されたのです。
【矯正図書館開館50周年記念クリアファイル】