第1展示室  行刑史料に見る災害

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河川災害

菊地信之亟著『裾花の薫―裾花川出動』(稿本)

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昭和24(1949)年9月、台風による豪雨のため長野市を流れる裾花川が氾濫した。長野県及び長野市は堤防の決壊箇所を処置して被害の拡大を防ぐため、長野刑務所に対して受刑者千名の動員を要請した。これを受けて出動した職員率いる受刑者は、一人の逃走者も、また事故を起こすこともなく復旧作業を完了させ、賞賛を受けた。受刑者動員要請、出動の決断から始まるその顛末を、当時の菊地信之亟所長が詳細な記録として残していた。 

【参考文献】
・椿百合子:受刑者による災害救援出動の記録 『裾花の薫』を伝える  「刑政」124巻4号(2013年4月)

火災

「切放」・「解放」

「切放」(きりはなし/きりはなち)とは、江戸時代、頻繁に起きた火災などの際に牢の囚徒を一時解放したことをいい、明暦3(1657)年1月の江戸の大火(振袖火事)の折、囚獄石出帯刀が行ったのが始まりとされる(浅井了意『むさしあぶみ』下記参照)。帰還した者には罪一等を減じた(御定書百箇条八十五 牢屋消失の節 放ち遣立帰候はゞ本罪相当より一等軽く可申付)。
江戸幕府が蘭学者に加えた弾圧「蛮社の獄」により小伝馬町牢屋敷に囚われていた高野長英は、弘化元(1844)年、牢の火災により解放されたが、そのまま戻らずに逃亡した。
「切放」は後に「監獄法」上において「解放」として受け継がれる。「解放」は関東大震災時や太平洋戦争下でも実施された。

【参考】浅井了意『むさしあぶみ』
http://www.wul.waseda.ac.jp/kotenseki/html/wo01/wo01_03753/
(早稲田大学・古典籍総合データベース)

弘化三(1846)年 人足寄場切放ニ関スル資料(写本)

安政五(1858)年 出火一件留帳

「寄場は往々にして不良獰悪の徒を収容し、設備又不完全なるを免れざりしが、紀律は比較的維持せられ…水火風震時の解放に際しても市中を冒かすが如きもの極めて稀であった。…弘化三年人足寄場切放に関する旧記に詳なり。」
(辻敬助『日本近世行刑史稿』(上)p925-926)
安政五年伝馬町牢屋敷全焼の際の切放・帰牢等の記録

(その他の文献)

・辻敬助:火災其の他非常時に於ける処置 辻敬助編著『日本近世行刑史稿』(刑務協会)(1943年、1968年復刊)p293-339

・瀧川政次郎『日本行刑史』青蛙房(1961年)p127-130

・石井良助著『江戸の刑罰』中央公論社(1964年)p172-176

・佐々木繁典:切放(きりはなし)〈矯正史落穂ひろい〉(2)「刑政」79巻4号(1968年4月)

・佐々木繁典:火災事故から考案された一斉開扉錠〈矯正図書館報〉「刑政」96巻4号(1985年4月)

・佐々木繁典:網走監獄の火災〈矯正図書館報〉「刑政」100巻5号(1989年5月)

・佐々木満:囚獄・石出帯刀吉深(号・常軒)と「切放し」「刑政」98巻3号(1987年3月)

・石出猛史:江戸幕府伝馬町牢屋奉行 石出帯刀(第2回)「刑政」101巻2号(1990年2月)

・根本敬彦:明治初期監獄法における「切放」 手塚豊編著『近代日本史の新研究』VIII (北樹出版)(1990年) p200-255

・但木敬一:明暦の大火と切放し「法曹」713号(2010年3月)

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